ブックタイトル鹿児島県産婦人科医会会報Vol1

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鹿児島県産婦人科医会会報Vol1

- 13 -追 悼 の 辞支部長時代の思い出元支部長 中村俊一 鍋倉正夫先生の後任として支部長に推薦されたのは平成2年であった。それまで前田・鍋倉両支部長のもとで副支部長を9年つとめてきたのだったが、その間の経験と、外西・森両副支部長をはじめとする役員、事務局の援助を得て、なんとか職責を果たすことができた。ご協力いただいた多くの人びとへ深く感謝したい。 さて、4年という期間は短いようで長く思い出も数多いが、ここでは特に印象に残ったものを述べることにしよう。 ・平成2年9月、旭川で日母大会がひらかれたとき、外西壽彦先生と参加したが、夜の懇談会の席上には山海の料理がならべられていた。なかでも蟹コーナーには、当地名産の幾種類の蟹が山盛りにされていて目をみはったものだ。二人とも大の蟹好きとあって、ほかの料理には目もくれない。蟹のまえに陣どって思う存分に食べた。大満足のあと外西先生が、「中村先生、今夜ん会費はモトを取いもどしたなぁ」と言われた。いまでも蟹を食べるたびに、あの夜の情景が目にうかんでくるのである。 ・平成4年7月、第15回・日母性教育指導セミナーが日母鹿児島の担当で開催された。前年の開催地は富山市で、事前調査のために役員7名で参加したのだったが、その甲斐あって鹿児島大会は、800名を越える参加をみた。大成功となって鹿児島の面目を発揮できた蔭には、柿木実行委員長をはじめとする役員の方の協力があった。 ・悲しい思い出では、平成5年2月、おぎゃー献金の産みの親である遠矢善栄先生が逝去された。つづいて7月には外西壽彦先生(市立病院院長)が68歳で逝去された。先生は、五つ子誕生で鹿児島市立病院の名声を全国へ高める一方、周産期医療の発展に大きく貢献された。「日母鹿児島支部の至宝をいちどに失った感がある」と昇眞寿夫先生が「日母だよりかごしま」に書かれていたが、まことに痛恨の極みであった。 ・一方、嬉しいことも多々あった。平成5年10月3日、東京会館で「おぎゃー献金30周年記念式典」が開かれて、私と担当理事の中江光成先生が出席。来賓として臨席された秋篠宮妃殿下紀子様と対談の機会にめぐまれた。妃殿下は、おぎゃー献金発祥の地が鹿児島であることもご存じであった。このときの光栄は、ちょうど私の誕生日と重なったこともあり、終生忘れられないものとなっている。 支部長を終えて7年の歳月がながれた。後任の森義三郎先生につづいて柿木成也先生へ引きつがれたが、待望久しかった周産期センターの20床増床も実現し、困難とみられていた助産婦学校も今春開校される。これらの業績は、節目となる50周年を飾るにふさわしいものとなった。心から感謝と拍手をおくり、更なる発展を祈ってやまない。 ちょうどこの原稿を綴っているとき、東京の友人である浜上安司氏(元   平成2・4・1~3・3・31支部長  中村 俊一副支部長 外西 壽彦     森 義三郎常任理事 柿木 成也     石塚 元徳     中江 光成     昇 眞寿夫理 事  前田 耕志     牧  美輝     川原  弘     浮辺 正和     永田 行博     徳永 博美     中村 雅弘     桑波田 景一郞監 事  松元 重達     生野 正博第8代支部長第8代支部長 中村俊一