ブックタイトル鹿児島県産婦人科医会会報Vol1
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鹿児島県産婦人科医会会報Vol1
- 11 -追 悼 の 辞中村俊一先生を偲んで鹿児島県産婦人科医会 前会長・公益財団法人昭和会 今給黎総合病院 産婦人科 寺 原 賢 人 先生はクラシック音楽をこよなく愛し霧島国際音楽祭の発足に心血を注がれました。そして30年前に同音楽祭のサポーター組織として発足した「鹿児島友の会」の初代会長として27年間リーダーシップを発揮され、鹿児島日母本部からの伝達、医療事故対策などの幅広い話題提供の場を設けるために鹿児島市、南薩、北薩、姶良、大隅地区でブロック別に研修会を開催されました。当時は少子化が社会問題となり、鹿児島県に於いても出生数が2万人を割り込む事態に陥りました。先生は平成3年5月に県民シンポジウム「出生率低下を巡って」を開催し、少子化対策として健やかな赤ちゃんを産み育てるための環境作りの必要性を県民に訴えられました。さらに、平成4年7月に鹿児島県で第15回日母性教育指導セミナーを主催され、地元はもとより全国より1000名近い参加がありました。当時、全国的に叫ばれるようになったエイズ対策をテーマに取り上げ、支部長として本県の性教育指導の更なる発展と産婦人科医療の発展に寄与され、多大の功績を残されました。そのような多くの功績が認められ、平成12年に県知事表彰、平成13年に母子保健功労者厚生労働大臣表彰を授与されました。さらに、鹿児島県の産婦人科医の勉強会として長年継続されている三水会の会長もおよそ10年間を務めておられます。このように先生の業績は枚挙に遑がありません。 先生はライオンズクラブにも所属され40年間在籍され、20年前には会長を務められました。この間、社会奉仕活動に熱心に取り組まれ、特に献血事業を推進されました。また、薩摩藩による宝暦治水事業の縁で姉妹都市盟約を結んだ羽島ライオンズクラブとの交流にもかかわっておられます。現在は先生の薫陶を受けた会員の方がクラブの中心となり活躍されています。 先生は海外旅行の趣味がありルーマニア、地中海、ザルツブルグ他南極までも奥様や親しい方々を引率されました。先生から旅先の情景を楽しく拝聴させて頂きました。オペラ協会や鹿児島交響楽団を支えてこられました。平成28 年8月3日霧島国際音楽祭でベートーベン交響曲「第九」の合唱を聴かれ、鹿児島友の会のメンバーと楽しい一時を過されました。 晴天の霹靂、その数時間後先生は黄泉路へと旅立たれました。告別式では祭壇に五線譜にト音記号があしらわれており霧島国際音楽祭・鹿児島友の会の皆様の合唱が流れて厳かな儀式となりました。 先生は現鹿児島県産婦人科医会の前身である日本母性保護産婦人科医会鹿児島県支部(通称、日母鹿児島県支部)の時代より理事、副支部長を歴任され、平成2年より4年間支部長を務められました。 この間、23年の長きにわたり県下約200名の会員の融和と団結を図ると共に産婦人科医会の会務の執行並びに円滑な事業推進に積極的に取り組まれ、本県における産婦人科の保健・医療・福祉の発展向上にご尽力されました。先生が支部長をされていた頃は「日母に夢とロマンの華を咲かせましょう」をモットーに、会員の融和と協力で明るい日母鹿児島県支部にするために随所に様々な取り組みがなされました。平成3年には、県下各地区の会員との親睦をはかり、故 中村俊一先生