ブックタイトル鹿児島県産婦人科医会会報Vol1

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鹿児島県産婦人科医会会報Vol1

- 106 -酉年にあたり ~八咫烏との出会い~鹿児島市立病院 上 塘 正 人 先日、熊野三山を訪ねる機会に恵まれた。世界文化遺産でもあり、いつかは訪れてみたいと思っていた場所であった。しかし、不勉強で日本神話にも疎いため、熊野本宮大社で八咫烏(ヤタガラス)の存在を初めて知った。日本サッカー協会や日本代表のシンボルとして有名な足が3本ある神話上のカラスである。日本代表のシンボルに3本足の鳥が描いてあることは知ってはいたが、日本神話の中で活躍した八咫烏とは知らなかった。元来、古事記や日本書紀では2本足であったが平安時代に歴史伝承の中で3本足となったらしい。咫は長さの単位であり、現在での18センチ程度で、計算すると144センチとなる。しかし、実際の大きさではなく、単に大きいという意味を表すようである。八咫烏は神武天皇(紀元前66 66 0年即位)が世界の中心である大和(現在の橿原市)を目指した神武東征において、天照大神(アマテラスオオミカミ)の命により熊野から大和への道案内として現れ、瀕死の危機を救ったとされている。この助けを得て、神武天皇は初代天皇となったと伝えられている。熊野では古代よりカラスは神聖な太陽からの使者と考えられていた。古代中国で太陽の黒点がカラスであると信じてられていたことに由来する。月にウサギが住んでいるという神話と同様である。つまり、高天原(タカマガハラ、天界)の神である天照大神から遣わされた太陽からの使者八咫烏の存在は、神武天皇が神から認められた天皇であるという証明に大きく役立ったのであろう。 今年の初詣は、神武天皇(神倭伊波礼毘古命 カムヤマトイワレヒコ)の生誕地である宮崎県高原町皇子原に行ってみた。高千穂の峰の裾野に広がる静かで美しい土地であった。ここには、瓊瓊杵命(ニニギノミコト)が活躍した神の時代から、人である神武天皇が45歳で東方大和に向かって出征する時代までの記憶が残されている。天之御中主(アメノミナカヌシ 宇宙神)の命を受け、天照大神の孫であるニニギノミコトが高千穂の峰に天孫降臨し、葦原の中つ国(地上界)に移り住んだこと、その子供が山幸彦、海幸彦(隼人の祖先)で神武天皇は山幸彦の孫として皇子原で生誕したことなどが神話として有名である。また、母であるタマヨリヒメが神武天皇を出産した場所として産場石、出産時の血液を浄めた血捨の木などが高原町に残されていた。御池は神武天皇が水遊びをした池と言われている。また、皇子原の東には狭野神社があり、神武天皇が主祭神である。昭和天皇まで歴代天皇が訪れたとの記載があった。これらの神話や遺跡などによって、神武天皇は天照大神の5代目の直系子孫であることが示され、天皇の神格化に大きく役立ったのかもしれない。ただし、神武天皇が実在したかどうかに関しては解明されていない。 天孫降臨という天界から地上への日本歴史の移行が行われ、初代天皇が誕生した霧島という地の近くで育ちながら、ほとんど知識がなかったことを後悔し、古事記を調べてみた。すると、現代の人間より、さらに人間味あふれる神々の存在があることに驚かされる。また、神であっても万物創造における男性と女性との営みの重要性が描かれている。日本の島々はイザナギとイザナミの兄妹夫婦の営みによって創造された。また、イザナミは火の神カグツチを産んだ際の火傷が原因で黄泉の国(冥界)に逝ったとされている。日本書紀によるとイザナミは紀伊熊野の花窟神社に葬られたとされている。神であっても、命の継承は必要で、分娩は女性の命を奪いかねない危険なものとして描かれてい